寄せては返す波のように

仙名彩世さん退団発表に寄せて思うこと

 

ニュースを見たのは、会社のトイレ。思わず個室の中でしゃがみこんでしまった。

千秋楽翌日の月曜日は朝から仕事でトラブルが起きてバタバタしていてお昼休みもロクに取れなかった。その日はいつも見ている星占いの点数が低くて、だからだよ、なんて思ってた。そんな中で知ったニュースだった。

 

なんで、どうして。

MESSIAH/Beautiful Gardenはどちらかというと明日海りおさんの退団を意識した演目だなあと思っていた。はらいそに昇る四郎と流雨、未来を託され現世に残るリノ。それはなんだか明日海さんと柚香さんの未来を示唆しているようだったし、Eternal Garden の歌詞や演出の雰囲気がそんな雰囲気だった。だから、なんとなく、そんな意味なのかしらなんて思っていたのだけれども、まさか、仙名さんのほうがだなんて思っても見なかった。

その日ののこりはなんだかぼんやり過ごしてしまって、友達には取り乱したLINEを送ってしまった。

 

それからの、退団会見のお写真。朗らかな笑顔は、私の記憶にある仙名彩世さんのきれいな笑顔で、少し泣けた。

はじめから、退団自体は意識されていた。じわじわと思いが募っての決定。

どこまでが本当でどこまでが色んなものへの配慮なのかはわからない。けれども、彼女があの場所を愛して舞台に立たれていたのは確かなんだろうなと感じた。

思えば、観に行ったどの舞台でも、彼女はびっくりするほどの完成度の高さを見せてくださっていた。もしかしたら終わりを意識していたからこそ魅せられるものもあったのかもしれない。全部後付けの考えだし邪推だ。

芸事にも神様はいると思う。神様に愛された、と評するに値するような華を持った人というのは絶対にいる。でも、それを生かすも殺すも結局は自分次第だ。彼女はそれを最大限に生かして私たちの前に見せてくれた。きっととてつもない努力の上でのパフォーマンスだったことは想像に難くない。努力は必ず報われるとは私は信じていないけれど、努力していないと神様も助けてはくれないし愛してくれないと思っている。その愛を受けるに相応以上のことを彼女はしてきたのだろうし、その過程で退団の意思を決められるくらいのものがあったと彼女が言うならそれを受け止めたいと感じた。

 

白いレースのワンピースは、本人が合うと思って決められたのだと報道の中にあった。

たしかにとてもお似合いだけれども、それはきっと、見た目だけの問題ではなくて。努力を重ね続けられてきたこと、今回の件について、可能な限り同期の方々にきちんと会ってお話をされたという誠実さ、下級生のことをお話される優しさといった内面の美しさが、より品良く美しく彼女を見せているのかなと思う。

 

正直なところ、ファンです、と口に出して言えるようになってまだまだ日が浅いので、まだまだもっと観たかったですと言いたい。退団された後、近年のトップ娘役OGの実咲凜音さんや咲妃みゆさん、妃海風さん、花乃まりあさんたちのように芸能活動をしてくださる確証はない。あの優雅なダンスも、美しい歌声も、細やかな演技も、次のステージで全部見られるかはわからないのは寂しい。それでもご本人が決めたことは応援したいし、彼女がトップ娘役である花組に出会えたのが私の人生において幸せな出来事だったことはまぎれもない事実なので、その幸せをくれた人のことは真摯に見守りたい。発表の日と会見の記事を見た今日は十二分に凹んだけれど、その分明日からはきっちり、気持ちよく彼女を応援できる私になりたい。

 

退団される、2019年4月28日まで、仙名彩世さんのタカラジェンヌとしての生活が充実したものでありますように。

2019年4月29日以降の仙名彩世さんの生活が、幸せにあふれたものでありますように。

こころを震わす舞台を見せてくれた人に願うのは、それだけです。

 

 

 

 

あなたを好きだと言わせて欲しい

 

舞台に立たれる姿を見て、不思議と涙が出てきた。

舞台の上で優雅に微笑み、歌い、踊る姿を見て、ずっと見ていたいと思った。

そんな風に心を揺さぶられる人に出会ったのは久しぶりだった。

 

 

宝塚歌劇を見はじめたのはここ最近のお話。

運良く手に入れた月組トップスター珠城りょうさんのお披露目公演から。

その次の次に見たのが「仮面のロマネスク/EXCITER」公演。仙名彩世さんのトップ娘役としてのお披露目公演だった。

なんとなく、男役にハマるのかなと思いながら、とりあえずすべての組を見てみたいと思っていた頃だった。

ふんわりとしたドレスのふくらみとは対照的に、ウエストや腕は折れそうなほどに細く、所作はたおやかで美しい。そんな彼女の高く滑らかで、ベルベットのような歌声が衝撃的だった。

ああ、とんでもないものを見たなあと思ったのはその時。

それから、次に、彼女に驚かされたのは「ハンナのお花屋さん」。

役どころは難民のミアという女性。出演時間はメインヒロインだということを考慮すればそんなに多くはないだろう。けれども、その短い中でも十分に私の中に鮮烈な記憶を残している。

この時の彼女の歌は仙名彩世の歌じゃなくて「ミアの」歌だった。難民として、地雷で弟を亡くして異国の地で頑張る、けれどもうまくいかないことがたくさんある。そんな彼女のおかれた状況のままならなさや哀しみ、希望への渇望をのせた歌だった。

歌声は以前にも聞いたとおりの伸びやかな高音ときれいな音程だったのに、お披露目公演の時に聞いたものとは全く違っていた。

完全に「ミア」の歌だったのだ。

赤坂で、思わず、彼女の歌を聴いて泣いてしまった。

それから何度かテレビ視聴を含め観劇をしたけれども、お芝居の中ではいつ見ても彼女は「役」として存在している。舞台上で見る彼女はいつも「役」だ。「役」が生きて、歌い、踊る。知らず知らずのうちに引き込まれる。

宝塚歌劇はそもそもコスチューム、お化粧はもとより、タカラジェンヌさんの日々の研鑽から、「ジェンヌさんだけれども彼女ではない、作品の中のひとり」を演出するのがとても上手だ。役に少しずつタカラジェンヌさん個々人の持つ色を加えて、舞台の上に立たれている。

その中でも、彼女が、私にとって一番、心を揺さぶる、「役」としての生き方をされている。舞台の上に生きているのは仙名彩世さんではなく、メルトゥイユ夫人であったり、額田王であったり、ミアであったり、シーラであったり、その時々で全て違う。いつも同じように美しい歌声なのに、いつもその中にその時々の役が生きている。役の思いが乗っている。

きっと観劇される方のなかで、みんなそれぞれ心の中に一番心を揺さぶる人がいると思うけれども、私にとってはそれが彼女だった。

 

 

「MESSIAH/ Beautiful Garden」

彼女のことを初めて宝塚大劇場で見た。宝塚大劇場に行くのは初めてではなかったけれども、彼女をどうしても見たくて、訪れたのは初めてだった。普段は東京に住んでいて東京宝塚劇場にばかり行っている私からすると少し大仰な観劇だった。

レヴュー最後の、花束を持ちスミレ色のドレスを纏い、稀代のトップスターである明日海りおさんとデュエットダンスをする時の彼女はとても美しかった。

どことなく明日海りおさんの退団を示唆するような歌詞や雰囲気に合わせて既に涙してしまっていたけれども、2人の歌とダンスの美しさにさらに泣いてしまった。美しいものは、それだけで人を泣かせるのかと思うくらいだった。

ずっと、「役」として舞台上に立たれる彼女のことを素敵だと思っていたけれども、あのダンスの時の彼女は紛れもなく仙名彩世さんただその人であって、この美しさが、この人の本質なのだとその時思った。

きれいな歌声も、美しい所作も、滑らかに優雅に踊られる姿も、全部、彼女の日々の研鑽がもたらしたもので、その努力の結晶がこんなにも美しい姿になるのだなあと。

何度も彼女が歌い踊る姿を見ているのに、今回改めて強烈にそれを意識した。

バレエダンサーの宮尾俊太郎氏が先日テレビで「客席にいるとその人の命が削れてキラキラしたものが見える」と仰っていた。

あのデュエットダンスはまさにその命が削れたキラキラの破片を振りまく、そんなダンスだった。

その破片を浴びながら、この人が舞台に立つところが、私は好きなんだなと感じて宝塚大劇場の客席で1人、静かに泣いた。

この人が舞台の上にいることが好きだと感じた。「役」としての生き方が私の心を揺さぶるのだと思っていたけれども、きっとそれだけではなく。「役」として「仙名彩世」として美しいキラキラの破片を振りまくその様が、私の心を揺さぶるのだ。うまい表現が見つからなくて悔しい限りだけれども。瞬きするのも惜しいくらいのキラキラの破片を、出来ればもっと、浴びていたい。それを好きと表現する以上の言葉が出てこない。

 

 

 

誰かのファンだ、と人に話すのは少し勇気がいる。

別に自分から言う必要なんてないけれど、宝塚を観に行くことが増えたという話をすると決まって「だれが好きなの?」と聞かれる。

今まで、なんとなく答えられなかった。

様々な理由で明言するのが少し怖かったけれども、今なら言える。ちょっとしたケジメのような、そんな違いだけれども、口に出さないことの惜しさが今までの私に勝る。

私にとって、心を揺さぶるパフォーマンスをしてくれる人。「役」としても「本人」としても美しく舞台上に生きてくださっている。

 

 

仙名彩世さん、私はあなたのファンです。

そう言わせて欲しい。